一閃。

2003年5月21日
 という感じに、刀でなんか斬りたいです。

 まぁ、刀も持ってませんし、構えとかも習ってませんからできやしないでしょうが。

 大学の授業は、教員関係は真面目に行ってますよ。経済関係は不真面目ですがー、つーか俺経済学部ですけどね・・・。

 いろいろ最近感じることがあったりなかったり。

 衣音さん、まさかこっちで日記作ってたとはね、気付かなかったよ、俺は。つーか、いろいろあるんやねぇ。

 と、さり気に流してますが、今日は教育について。つーよりむしろ学校について。

 学生の俺たちにとって学校ってのは生活の大半を占めます。
 それくらい重要なんですよ、マジで。
 んで、次に家あるじゃないですか。普通の人は学校(部活含む)と家、あとは塾かバイト先。この3つぐらいが生活の場じゃないっすか。優先順位は上げた順番に。

 んで、その学校でいやーな立場やったら正直しんどいですよ。生きるのが。

 俺も経験したことあるんでねー、んでそれから救われた側なんでね、ラッキーやとは思います。ええ人(先生)に会って良かったなーって。

 一度、幸せの生活に浸ると、キツイ生活になるのが辛すぎます。
 確かに人間、案外順応します。
 でもね、できる奴もいるけど、できない奴もいるんです。

 でも、すこしそれとは次元が違います。

 どっかで不登校の人が言ってました。朝日新聞だったとは思いますが、いつかは忘れました。
「学校行かないことは悪いことですか?」

 さて、自らを良識人と謳ってる人はたいていこういいます。
「学校は重要な場であるからして(中略)行くのが当然である」

 もともと教育というものは、近代になってから重要視されました。日本では江戸時代からだと思います。
 教育には二つの側面があります。一つは読み書きそろばん。このような知識がない人間は、ちょっとこの知識がある人間にだまされてしまいます。それを防ぐ為に学をつけるのは必要です。
 もう一つは、社会において順応させる人間を作り上げること。
 犯罪防止効果を望んでいるわけです。
こう書くと変な感じですが、「人を傷つけるのは悪いことなんだよ」など人としてわかっていて当然のことを教える面があります。

 今の日本の教育は、前者の部分を強調しすぎです。東大に入るなり学力と金があれば、人として最低だろうが官僚なりエリートになります。エリート=選良とは、人の先に立ち、人を導き、人のために行動するべき者のことです。まぁ、人として最低な人間がンなまともな行為をするとは思えませんが。
 そのような人間にだまされないために勉強しているのに、いつのまにかどうやって他人をだまそうかと考えている人が大多数のように感じてしまいます。

 後者の部分はどうでしょうか。ないがしろにしている部分も見えます。また、人としての点よりも「扱いやすい生徒」を作ろうとしている気がするのです。自分の言うとおりだけに動いてほしくて、言うことを聞かない生徒を激しく嫌う。そういう教師もいるんちゃうかなーと、思ってしまいます。
  
 
 さて、んな学校に通うのは正しいですか?
 
 おもろい学校もありますよ。俺が行ってた高校は進学校で正直きついクラスがほとんどでした。ですが、俺がいた3年のクラスは比較的面白かったです。先生が、「お前たちはもう大人だから、よっぽど道を外れない限り何も言わん。聞きたい事があったらなんでも聞け」
 なんかね、あるがままを認めてもらえて嬉しかったです。いや悪いことする奴は怒られてましたが。
 毎日通いたかったですね。てか遅刻は多かったですが休みは少なかったです。


 しかし、生徒を自分の所有物に思っている教師のところに行きたいと思う人もいます。楽ですもん。やること言ってくれますし、エライ人に従うのが好きな人もいるんです。そういう人はたいてい、えらくない人をぼろくそに言って苛めますが。
 
 扱いやすい生徒を作るというのは愚民政策の一端の気がします。
『国民が馬鹿なら統治もしやすい。考えるのは良民だけで、他は従えばいいのだ』
 という観点ですね。

 俺の意見を言うと、学校行かなくてもいいと思います。楽しい学校なら通うのをお勧めしますが、苦しいだけの学校は通う人間を殺します。

 もし、学校関係に携わる人がいたら、まぁ分かってはるとは思うんですが、「自分の意見に反発するからコイツは悪い生徒だ」じゃなくて、「反発するのには理由が何かあるはずだ」と思って接してもらえませんかね?

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