マジですか?

2002年8月10日
 いえ、俺はマジ(魔法士)じゃないです(謎
 
 
 ども、RO再開は来週の月曜の予定ですが、禁断症状の上に明日が模試です。
 
 そして、親に模試の受験票捨てらたっぽいです、わっほい(爽
 
 
 うう、受験料4000円ちかくしたのに(滝汗
 
 コレって受けられなくなるんじゃないでしょうか・・・・・ってか、捨てたってマジデスカ?(泣
 
 
 さて、話題が変わりますが、夏ですね、夏と言えば、読書感想文ですね。この時期図書館の本が一番借り出される時期です。
 俺は毎回一足遅れて、購入させられましたがねw
 
 最後まで読み終わったときは提出してから一月ぐらいたってからってのもざらでしたw
 
 
 えーと、まぁそろそろ日記のネタも尽きたのでラクガキ書きます。
 つーか、受験では小論文という科目があります、のでそれの練習ついでに書いたヤツをココに載せようかと。
 てか、ラクガキなので使用に関しては別に著作権とかどーとも言いませんし、転用とかお好きにどーぞですが、赤点もらいましたって、苦情は受け付けませんから!(怯
 責任はご自身でw
つか、4,5日たってから訂正入れるから転用はしばしお待ちをw

「かけがえのない地球」
 
 1960年代、日本は高度経済成長を経験した。様々な工場を建築し生産運営していった。その時もっとも重視すべき物は、資本、金だった。金のために、無駄な部分は無視し廃液は適当に捨てた。それがあだとなって、周囲の住民たちは公害に苦しみ国は彼らに償っても償えない賠償責任を負った。今なお、それの後遺症に悩む人もいる。
 1980年代、バルブ経済と言われた。土地が高騰し、山や森林を買い漁り、それを転売するだけで多額の金を手にすることが出来た。大量生産大量消費と言われた。山を切り開き住宅地にし、森を切り開きゴルフ場や娯楽施設を建設した。そして、食料も大量に必要となり、農薬を散布し化学肥料を巻き効率を上げた。その行為による、代償は自然動物たちの激減、水質汚濁化、土砂崩れ、地下水の枯渇。今もまた新しい弊害が発見されている。
 そのことがメディアによって様々な人々に知れ渡り、人々は今までの行為を改めて考えようとし始めた。あまりにも自分たちは、軽率ではなかったのか、と。そして、ボランティア団体がいくつも出来、自然を守るため、今も日夜活動してくださっている。
 さて、我々は地球の環境を守らなければいけないのだろうか。それとも、ボランティア団体の皆さんがいるから、もう安心して十分な生活が送れるのだろうか。

 2002年、今現在、バブル経済は過去の出来事である。今なおそれを引きずっている人は多いが、過去の出来事である。
 少し前から、注目され始めた物がある。有機栽培、自然食品、ミネラルウォーター等である。有機栽培とは化学肥料や農薬を使っていない作物のこと。自然食品とは、化学調味料・防腐剤・人工色素などが含まれていない食品のこと。ミネラルウォーターは日本では基本的に、名水と言われる水脈から汲み上げた水を容器に詰め販売された品物のことである。
 何故それらが注目されたのだろうか、理由は様々にあるかもしれない。ここで俺が注目したい理由の一つに、健康に良さそうだから、と言うのがある。それらが健康に良さそうと言われるならば、逆に日頃我々の食卓に上っている物が健康を害する物であるとの認識があるのだろう。人だけが作った物は体に悪いのだろうか。
 
 アスファルトという物がある。私たちがよく目にする鉱物だ。道路や地面等に舗装されている。舗装された理由は車を通りやすくするためだ。しかし、この人が住みやすい環境、実は弊害がある。日本は水に、そして雨に恵まれた国である。しかし、それは一転して降りすぎれば水害に悩まされることがある。地面が露出していれば、雨の一部は地面に吸い込まれる。しかし、アスファルトで固められた道路には地面に吸い込まれる隙間がないのだ。雨は下水へと流れ込む。降水量が増えると下水だけでは処理しきれず、洪水が起こる。そして洪水は家をなぎ倒し、家財を壊し人の命を奪うことも時にある。それだけではない。アスファルトによって下水に流れこんでしまった水は、下水処理場に負荷をかける。また、下水処理場を抜けて雨はそのまま海に出る。本来ならば植物が消費する水になったり、山に染み込み地下水や川を流れて、人の飲み水になったはずの雨は、こうやって我々の手から消えている。

 アスファルトをなくせ、と言いたいわけではない。なくせば明日から今現在の生活が維持できないからだ。しかしながら、このようなことを続けていると何時の日にか日本は雨の多い水不足の国になってしまうかもしれない。
 これは、ただの一例だが、このようなジレンマを多く私たちは抱えている。石油など化石燃料の問題もそうだし、車のガソリンや、ビニール袋などの問題もある。
 
 このまま、現状を維持すれば、我々人類が生活の出来ない環境になってしまうのは疑いようのない事実だ。かといって、今すぐに状況を打破すれば、明日から人類が生活できないことも明白だ。
 だが、やはり私たちはかけがえのない地球を大切にしなければならない。
 
 健康食品、自然食品とは昔の作り方や自然の恵みを取り入れて作られた物だ。それが環境保全に役に立っているとは言わない。ただ、人々は本能的に自然な環境を求めているのかもしれない。
 
 遙か昔に地球は生まれた。そして悠久の孤独な時間を地球は過ごしているうちに、海の中にバクテリアが発生した。そして植物が発生し、様々な生物が生まれた。植物は一足先に陸に上がり、昆虫そして動物も上がった。恐竜が現れ、そして消え、様々な動物に枝分かれしては消えていった。今なお新しい生物は生まれている。我々人類と呼べるようになったときはたかだか数千年前からである。
 しかも、我々が発展できたのは我々が比較的暮らしやすい環境を地球や、その他の生物達が形成してくれていたお陰である。
 似たような状況にある火星では未だ、生物の陰は見えない。それと比べれば、地球はなんと住みやすい星なのだろうか。ほんの数百年前までは人間は大して自然を壊さなかった。江戸の町は世界でもっとも自然の浄化作用に頼った綺麗な町だった。しかし、ここ百年の間に私たちは地球から受け取った住みやすい環境を破壊した。確かに、物にあふれ豊かになったかもしれない。だが、それの代償があまりにも多すぎて、私たちは逆に貧乏になっていったようだ。自然そのものの環境では人の社会は形成できない、しかし人の手だけで作られた物などは脆くそして有害である場合が多い。

 関東のとある県のとある市では、アスファルトの道路の脇や家の雨樋の下等、雨水が集まってくる場所にあるタンクを置いている。このタンクはコンクリートで作られている物の、無数の穴が開きたまった水が周囲の土に流れ出ていくようにしている。
 そのお陰かどうかは知らないが、汚かった周囲の川が最近は綺麗になり、また綺麗な環境でしか見かけない自然動物が戻ってきているそうだ。
 
 人の手だけの環境は脆く歪である。しかし、自然の仕組みを理解し自然の浄化作用や自然の育みを邪魔しないように人が工夫する事は、今私たちにとってもっともしやすい地球を守る行為ではないだろうか。 

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